みしがん・でいず

「ぼへみあん・ぐらふぃてぃ」http://gogo.chips.jp/ USA編。

のんびりゆったり子育てとシンプルライフを求めて、家族で南国サモアに移住。その後さらに米国に。日本を脱出してから、かれこれ19年が経ち子どもたちは成人してしまいました。米国・ミシガン州より発信していますジャズ好き、アラフィフ。
<< 枠にはめない教育@USA その3 | main | ダイバーシティとは? >>
枠にはめない教育@USA その4
0
     その1で、私たちが考える理想の環境を求めて「日本を後にした」と書いた。だからと言って、日本が良いとか悪いとか、サモアや米国が良いとか悪いとか言うつもりはもうとうない。それこそ“ちがい”にほかならない。

     日本とサモアを比べると、どちらも単一民族の島国だからか、いろんな意味で共通点が多かった。何かを頼まれれば、相手を思って本心とは裏腹にノーと言わないところ、古い伝統や風習を頑なに重んじるところなどは、日本の田舎社会によく似ていると感じた。年長者を敬う姿勢や、ものごとに対する概ねの価値観など、日本人の私にとって、サモア人はある意味でわかりやすかった。

     ところが、人種のルツボの大陸国アメリカでは、理解不能なことが多い。あらゆる人種があらゆる価値観で、それぞれに生きている。ここでは、ひとつの価値観に基づき統制を計るなんてほとんど不可能だ。みんなで違いを受け入れて、はじめて物事がスムーズに行く。そんな背景もあり枠にはめない環境が自然と築かれているのだと思う。

     学校に子どもたちをあずけてきて、最初に感心したことは、学校側が徹底して各家庭の“大切にすること”を理解するようつとめ、保護者の意向を尊重してくれることだった。

     たとえば、学校行事ひとつとっても、参加するしないの選択は保護者側にある。それまで、遠足もキャンプも運動会も学校行事なんてものに、参加、不参加の選択の余地があるとは、思ってもみなかった私は正直驚いた。子どもが本を一冊読むのにも、学校側から、「○○の本を読ませてもよいでしょうか?」とお伺いが来て、それに保護者がサインをしない限りは、子どもは学校で本を読んではいけない。つまり、アメリカでは親の許可なく学校の方針で勝手な本を子どもに読ませることはしないのだ。

     なぜなら、いろんな価値観、いろんな宗教の、“ちがう”人たちが集まるこの社会では、正しさは人それぞれちがうし、管理もできなければ、まとめることは不可能に近い。できるのはそれぞれを尊重することなのだ。ここに来たばかりの頃、トルコ人のお母さんとキャンプの話をした。その母親は、「子どもがキャンプの間に口にする食べ物が気になるから、参加させない」という。理由を聞いて、?が飛び交ったが、その家庭はイスラム教徒だった。信じる宗教によっても、食べ物に制約がある。ここで、やっとアメリカの学校がなぜこれほど、保護者の意向を尊重してくれるのか、はじめて納得した。

     これでは、特定の枠に収めようにも収まるわけもないし、そうする必要もない。学校教育の場において個々の家庭の意向がおおいに尊重されるのには、こんな背景もあるのだろう。結局、「ちがいを認める」「枠にはめない」という我が家の大切にしたいことは、自然とそこにあった。


    にほんブログ村 海外生活ブログ アメリカ情報へ   blogranking


    | yahoi | 教育 | 00:55 | comments(3) | trackbacks(0) | - | -
    まったくおっしゃるっとりです。読ませていただいていて、ただ頷くだけでした。特に、最後の、「ちがいを認める」「枠にはめない」というところは、これからの時代、世界中の多くの人々にも頭の隅に置いておいていただきたいコンセプトですよね。もちろん、そう理解を求めることでさえ、誰にも強制できないのはもちろんですが。
    日本にいるときに僕は、yahoiさんが感じられたような違和感みたいなもの、さらには既に存在する物事に相反するような理想は持てていませんでしたね。はじめてバリ島に来て、「えっ、こんな空気もあり!? こんな生き方もあり!?」と、目から鱗だったわけです。
    (続く)
    | RYO | 2007/09/04 7:36 PM |

    (続き)
    そういう経緯からは、日本やバリ島やアメリカの何かが良いとか悪いとか言う論議の意味ないことは理屈では理解していますけど、いろいろな良い悪いを比較したがる傾向があります……。
    どちらにしろ、僕の違いの大事さを痛感しています。違いを理解するところからはじめて、伝統的なものを本質的に尊重できるようになるのではないかと思うのです。
    いつも長くてすみません……。
    | RYO | 2007/09/04 7:37 PM |

    >日本にいるときに僕は、yahoiさんが感じられたような違和感みたいなもの、さらには既に存在する物事に相反するような理想は持てていませんでしたね。

    別の世界を知らないこととか、自身の理想がないのは、葛藤を生まないという意味で楽かもしれませんね。

    >はじめてバリ島に来て、「えっ、こんな空気もあり!? こんな生き方もあり!?」と、目から鱗だったわけです。

    鱗がおちたからといって、そこから先、物理的環境まで変える人はそうはいないかもしれませんけど、内面的に変わることはあるでしょうし、それが成長に繋がるとも言えるでしょうか?

    我が家は、95年にサモアに家族で旅して「別の生き方もあるのではないか?」と鱗が落ちてしまいました。(笑)

    | yahoi | 2007/09/05 2:12 AM |










    http://yahoi.gogo.chips.jp/trackback/520319
     123456
    78910111213
    14151617181920
    21222324252627
    28293031   
    << October 2018 >>

    このページの先頭へ