みしがん・でいず

「ぼへみあん・ぐらふぃてぃ」http://gogo.chips.jp/ USA編。

のんびりゆったり子育てとシンプルライフを求めて、家族で南国サモアに移住。その後さらに米国に。日本を脱出してから、かれこれ19年が経ち子どもたちは成人してしまいました。米国・ミシガン州より発信していますジャズ好き、アラフィフ。
枠にはめない教育@USA その4
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     その1で、私たちが考える理想の環境を求めて「日本を後にした」と書いた。だからと言って、日本が良いとか悪いとか、サモアや米国が良いとか悪いとか言うつもりはもうとうない。それこそ“ちがい”にほかならない。

     日本とサモアを比べると、どちらも単一民族の島国だからか、いろんな意味で共通点が多かった。何かを頼まれれば、相手を思って本心とは裏腹にノーと言わないところ、古い伝統や風習を頑なに重んじるところなどは、日本の田舎社会によく似ていると感じた。年長者を敬う姿勢や、ものごとに対する概ねの価値観など、日本人の私にとって、サモア人はある意味でわかりやすかった。

     ところが、人種のルツボの大陸国アメリカでは、理解不能なことが多い。あらゆる人種があらゆる価値観で、それぞれに生きている。ここでは、ひとつの価値観に基づき統制を計るなんてほとんど不可能だ。みんなで違いを受け入れて、はじめて物事がスムーズに行く。そんな背景もあり枠にはめない環境が自然と築かれているのだと思う。

     学校に子どもたちをあずけてきて、最初に感心したことは、学校側が徹底して各家庭の“大切にすること”を理解するようつとめ、保護者の意向を尊重してくれることだった。

     たとえば、学校行事ひとつとっても、参加するしないの選択は保護者側にある。それまで、遠足もキャンプも運動会も学校行事なんてものに、参加、不参加の選択の余地があるとは、思ってもみなかった私は正直驚いた。子どもが本を一冊読むのにも、学校側から、「○○の本を読ませてもよいでしょうか?」とお伺いが来て、それに保護者がサインをしない限りは、子どもは学校で本を読んではいけない。つまり、アメリカでは親の許可なく学校の方針で勝手な本を子どもに読ませることはしないのだ。

     なぜなら、いろんな価値観、いろんな宗教の、“ちがう”人たちが集まるこの社会では、正しさは人それぞれちがうし、管理もできなければ、まとめることは不可能に近い。できるのはそれぞれを尊重することなのだ。ここに来たばかりの頃、トルコ人のお母さんとキャンプの話をした。その母親は、「子どもがキャンプの間に口にする食べ物が気になるから、参加させない」という。理由を聞いて、?が飛び交ったが、その家庭はイスラム教徒だった。信じる宗教によっても、食べ物に制約がある。ここで、やっとアメリカの学校がなぜこれほど、保護者の意向を尊重してくれるのか、はじめて納得した。

     これでは、特定の枠に収めようにも収まるわけもないし、そうする必要もない。学校教育の場において個々の家庭の意向がおおいに尊重されるのには、こんな背景もあるのだろう。結局、「ちがいを認める」「枠にはめない」という我が家の大切にしたいことは、自然とそこにあった。


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    | yahoi | 教育 | 00:55 | comments(3) | trackbacks(0) | - | -
    枠にはめない教育@USA その3
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       「学校と学校の間の壁を取っ払ったように縦の連携が取れている」例として、自分のレベルにあった授業を学校を超えて受講できる話をした。それもたいせつだけど、学ぶことは、水準という意味でのレベルさえ合っていれば良いというものでもない。たとえば、大人でも子どもから何かを学ぶことはあるし、先生が生徒から学ぶことだってあるかもしれない。そんな見地による試みも学校と学校の壁を超えて実践されている。

       ハイスクール時代、長男も次男も選択科目としてスペイン語を3年間学んだ。3年目の授業のカリキュラムには、スペイン語を小学校の低学年に教えに行くという“勉強”があった。決められた曜日にハイスクールを抜け出して近所の小学校に向かい、低学年の子どもたちを前に、にわかスペイン語の先生をするというのが、スペイン語の上級クラスの授業の一環だったのだ。

       長男の場合は、言葉を学問として教えるだけではつまらないと言い、ギターをかついで行っては、スペイン語で歌まで歌っていたというから、内容の柔軟さがうかがえる。授業の一環のわりには、「このようなやり方でしなさい」という徹底した枠がなく、良いと思う方法を自分で考えてそれをトライしてみなさいという感じなのだ。毎回、楽しそうに小学校に出かける息子の姿に、「どんなふうに、スペイン語を教えるのか見にいってもいい?」と聞いてみたが、苦笑いしながら、「いくらなんでもそれはやめて!」とお断わりされた。考えてみれば、いくら“にわか”でも、小学生から見れば息子は教える側の人なのだから、“先生のママ”が“先生”の様子を見にくるなんてカッコ悪過ぎというのも頷ける。

       ハイスクールの生徒は小学生にスペイン語を教えることから何かを学び、小学生は、ハイスクールのお兄さん、お姉さんから、スペイン語を学ぶ。こんな合理的な試みを実践できる学校の壁を超えた連携にひたすら感心した。そして勉強と同時に人を育てているように思えた。

       こうした教育を受けてきた息子たちは、たまたま第二外国語(うちの息子たちにとっては3番目の言語だけど)として選んだスペイン語が、好きな科目のひとつとなり、大学に入ってからもスペイン語の勉強を続け、トライリンガルを目指している。ハイスクールで、すでに3年間スペイン語を勉強した息子たちの場合、大学に入ってからの初級クラスは免除と認定された。つまり、本来ならば、単位をもらうために受けなければならない授業を受けなくても単位取得済みの扱いになり、授業料の節約にもなった。

       私は教育者ではないので、難しいことはわからない。でも、子どもたちには、いろんなことにチャレンジして、いろんな興味を伸ばし、そこから好きなこと、嫌いなことを見つけてほしいと思う。それを探すために、勉強も遊びも趣味を持つことも大切だと思う。そして、世の中にはいろんな人がいること、いろんな価値観があることを理解して、それぞれの違いを尊重できる心を育んでほしいと思っている。そう考える母の目から見ると、型枠にはめない授業も、個々の能力を尊重する学校の姿勢も、一貫した学校同士の連携にもこっそり拍手をおくっている。

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      | yahoi | 教育 | 06:50 | comments(2) | trackbacks(0) | - | -
      枠にはめない教育@USA その2
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         子どもたちの相違を認めれば、勉強の進み具合もちがって当然と考えるここでは、飛び級を認めている。うちの末息子は、小学校の5年生の時に受けたミシガン州認定のテストで算数の成績が少しばかり良かった。すかさず、学校側は、他に成績の良かった数人とともに、6年生になったら、算数の授業だけは、中学に受けに行くようにと勧めてくれた。もちろん、これにイエスと答えるもノーと答えるも自由だ。うちの場合、息子は「中学で小学生が勉強していいなんて、カッコイイ!」という理由で、イエスを選択。小学校より少し遠い中学まで毎日送るという日課が母親の私に加わったが、数学(算数)の授業後、小学校に戻すのには、ちゃんとスクールバスで送り届けてくれるという気の配りようだった。

         小学校に限らず、中学校のデキル生徒は、ワンランク上のクラスを受講しにハイスクールに行くし、ハイスクールの生徒でデキル生徒は、ハイスクールの授業の代わりにカレッジクラスを受講することが認められている。そしてその単位はハイスクールにも、大学にも履修単位として認定される。この逆もありで、「うちの子どもはどうもデキが悪いので、もう1度○年生をやり直しさせたい」というのにも学校は寛容に対応してくれる。

         ハイスクールにいる生徒の中には、授業のほとんどを大学で受けているなんて子もいる。もちろんこれは、全米のどこでもそうだというわけではないと思う。たまたま、当地が大学町であることも幸いし、ロケーション的にも、地域の公立学校と大学がほど良く隣接しているため、連携も図りやすいのだろう。また、大学が町の中心にあるおかげで、教育に対する住民の意識レペルも比較的高い。そうした地域の意識も良い教育環境を整えることに一役買っていることだろう。

         アメリカの教育システムは義務教育の期間や制度にいたるまで州によって違い、州で定められた教育事項に基づき、カウンティー(郡)が方針を決め、その下で各学校区がさらに詳しい内容を決めるというのが一般的だ。

         このため、地域の教育委員会と学校、校長の采配で、かなり融通のきく教育環境を築くことができる。住民の教育に対する意識が高ければ、即座にその意思も反映されやすいということになる。代わりに、その逆もあるので、教育現場の格差は日本より大きいのかもしれない。が、ともかく、この地で、小学校から中学、高校、大学と見わたしてきた母親の目から見て、小学校から大学まで、学校と学校の間にある壁を取っ払ったように、縦の連携が取れていることには感心する。

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        | yahoi | 教育 | 03:24 | comments(2) | trackbacks(0) | - | -
        枠にはめない教育@USA その1
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           10年前、理想的な環境で子どもを育てたいという意思をもって日本を出た。もちろん、“理想的な環境”というのは、ひとそれぞれちがうだろう。私たち夫婦のそれは、未来ある子どもたちに枠を与えず、のびのびと育ってほしいという、単純な願いだった。

           当時、住んでいた地元の中学は、丸刈り強制こそ解けた後だったが、指定のジャージでの通学、規定の自転車に指定のカバンと、あらゆる行動が指定ずくめの管理教育に映った。毎日の朝連と休日おかまいなしの部活に、強制参加はあたりまえ。「参加しない」いう選択は認められていなかった。「子どもが中学にあがると、家庭での自由時間なんてないわよ」というのが、周知の事実という現実があった。

           まわりの中学生たちは、素朴で素直で良い子ばかりだったが、みんなジャージを着て自転車に乗り、すれ違うたびに、判で押したように同じ挨拶をして通り過ぎた。その様子を目の当たりにして、あまりにみんな同じって、気持ち悪いと思った。第一、会った瞬間にだれもが抑揚もトーンも同じ「さようなら〜」って変だ。今、会ったのだから、「こんにちは」という子がいても良さそうなものなのに、「さようなら〜」なのだ。挨拶というよりそう教え込まれたセリフだったのかもしれない。挨拶ができるのは、すばらしいことだけど、する子もしない子もいていいし、使う言葉もそれぞれでよいではないか。

           個々の相違を認めようとせず、子どもたちをがんじがらめの枠に閉じ込めようとする教育環境に感じられた。もろろん、それが悪いこととは思わない。それを支持する人たちもいて当然だし、良い面もあるだろう。ただ、私たちの理想とはちがっていたため、ちがう理想に我が子をあずけ、朱に交わり赤くしてしまうことを恐れた。

           結局、日本を出てサモアにいる間は、学校の規則にしばられることのない時間を得た。もちろんサモアの学校でもそれなりの制服も規則もあったが、お昼ちょっと過ぎには帰宅してしまうので、学校生活で拘束される時間と家庭で過ごす時間のバランスは取れていた。

           前置きがとても長くなってしまったけど、そんな経緯がある我が家にとって、子どもたちを枠にはめないということは、大事にしていることのひとつなのだ。この視点からいうと、常に違いを認める、アメリカの教育現場には葛藤は少なく、感心することも多い。

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          | yahoi | 教育 | 03:10 | comments(2) | trackbacks(0) | - | -
          大学行事
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             我が家の住む町の中心には、ミシガン州では、生徒数が4番めの規模を誇る総合大学がある。明日からの新学期に向け2万人以上いる学生が、町に帰って来て活気が戻って来た。

            新年度オープニング行事
             日曜の今日、明日からの新学期スタートに向けて、恒例の大学行事があった。昨年も紹介したコレ で、「えっ〜、もうあれから一年が経ったの?」と思いながらも、家族で出かけた。

            テコンドーのデモ
            息子たちは、昨年同様、テコンドークラプのボスとして、新メンバー獲得のために、デモンストレーションを披露したり、リクルートに精を出していた。

            マット・カーニーコンサート
            夜のライプコンサートには、最近全米でじわじわと人気が出ている、マット・カーニーが、呼ばれていて、会場はとにかく熱気でむんむん。

             大学のキャンバスは広大で、歩いて一周するには広すぎるが、うちから道路を一本隔てれば、そこはキャンバス。大学の図書館の蔵書は、学生だけでなく、地域の誰もが借りられる。ものすごい数のコンピューターが設置されていて、インターネットも使い放題。カフェテリア、ブックストア、博物館、美術館、定期的に催される数々のイベントも、ほとんどが“Open to Public”と謳われ、地域住民に解放されている。こうした、米国の大学の懐の広さのおかげで、この地に住む住人としても、我が家の一年は、大学行事とともに歩んでいるという感じだ。

             全米の中でもミシガン州は、経済低迷がひびき、けっして裕福な州ではないのが現状だ。特に工業都市の中には、廃虚のようにさびれてしまい、治安もよくないというところがある。その点、経済の中心が大学という我が町は、住民の多くも必然的に高学歴なうえ、常に若者の活気に満ち溢れていて比較的住みやすいといえる。大学には世界じゅうからの留学生や研究者もいるため、外国人に対しての偏見も少ない。アメリカという大国の中で、世界の縮図のような環境が築かれ、多国籍の人々に接することができるのは、この地で暮らすことの大きなメリットと言える気がする。
            | yahoi | カレッジネタ | 03:13 | comments(2) | trackbacks(0) | - | -
            「地球はとっても丸い」
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              「地球はとっても丸い」、略して、「地球丸プロジェクト」という活動に、2004年の創設当時から関わっている。メンバーは世界各地に散らばっていて、バックグラウンドはいろいろだが、共通しているのは、「書く」ことで、バリバリのプロライターから、これからブロを目指したい若葉マークさんまで、経験、筆力も様々だ。活動を続ける中、仲間のプロフィールだけでなく、雑談から人を知るたび、「よくぞこんなにユニークな人たちが集まったものだ」と感心する。

              今年に入り、元編集人が退任したこともあり、しばし活動休止を余儀なくされていたけれど、この夏休み前あたりから、私が音頭取りをさせてもらい、再び新編集部を立ち上げ、今日無事、メルマガ発行を再開することができた。

              地球はとっても丸い
              因みにこのイラストは、うちの娘の作品デス

              私は、この地球丸のウェブサイトの作成、管理、そして会の運営と編集部のスタッフと大した能力もないのに、何足もの草鞋を履かせてもらっている。私にとっては、書く事も、読むことも、媒体を作ることも、世界の仲間との雑談も、この活動の目的であり楽しみでもある。

              有志の会なので、書いたからといって報酬はない。でも、だからこそ自由にのびのび伝えることができる媒体として、発表の場、勉強の場として今後も活動を続けて行きたい。

              とりあえず、今回から一年間、毎月、『サモアの想いで』と題した、フォトエッセイを連載させてもらうことになりました。だんだん記憶が薄くなりつつある、我が家のサモアンライフを、記しておこうと思います。

              メルマガは、毎月10日、25日に発行します。登録はこちらからできますので、よろしければ登録してやって下さいませ。
              | yahoi | - | 11:17 | comments(1) | trackbacks(0) | - | -
              オスカーをひきとりました
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                 今朝早く、オスカーを養子に迎えた。と、言ってもオスカーは人ではなくて、フェレットのこと。

                 次男は、夏休みじゅう、自分の通う大学のファシリティーマネージメントという部署でアルバイトとして雇ってもらい、5月の初めから3ヶ月以上毎朝5時起きで学内寮の清掃や管理の仕事をしてきた。同じ学内でも、学生として大学の講義に出るときとは違う人間模様を体験し、ここでは“custodian ”と呼ばれる人たちといっしょに働き、あたらしい世界を垣間見たようだ。

                 数日前、次男は、「カストーディアン仲間のひとりが、フェレットの婿入り先を探している」という情報を持って帰って来た。何でも、そのおばさんは、17才になる娘の何年か前の誕生日に、フェレットをプレゼントしたけど、娘は、飽きてしまって、ちっとも遊ばなくなってしまったという。こんなことでは、フェレットが可哀想なので、可愛がってくれる人にあげたいというのだ。なんとも無責任なような責任あるような……。

                 「飼い主に遊んでもらえないフェレットがいる」と聞いてしまったからには、ほっとけないのがうちの娘だ。何度も、「お母さん、もらっていい?」と尋ねられたが、「飼うと決めた人が責任を持つ」と同じ返答を繰り返しているうちに、届いてしまった。

                ペコとオスカー

                 お婿に来たフェレットは、真っ白な毛に黒い目で、名前は、Oscar (オスカー君)と言って3才になるオトコの仔だ。豪華なマンションと可愛いハンモックごと、カストーディアンの仕事が始まる前の朝5時半に我が家に到着。さっそく、うちのペコ(女の子)と慣れさせるために、面会させてみたけど、今のところ仲良くなるのかどうかは、よくわからない。オスカーは、ペコを追っかけては、匂いをクンクン。ペコはそれを鬱陶しそうにしている。ペコはオンナの仔だけあり、オスカーに比べるとおっとり、おしとやか。オスカーは、他所のおうちに来たばかりだと言うのに、あちこち元気に飛び回りホームシックの様子なんて微塵もない。

                オスカー、マンションから逃げる

                 今までは、ペコしかいなかったので、ペコがフェレットの基準だと思っていたけど、フェレットと言えど、比べると性格も習性も違っていておもしろい。ペコはビニール袋が大好きで、それをひとつずつ口にくわえて、お気に入りの場所に運んでコレクションするのが趣味のようだけど、オスカーは今のところ、そのような行動は見せず、ひたすら水を得た魚のごとく家じゅうを駈けずりまわるので、誰かが「オスカー!オスカー〜」と叫んでいる。

                「オスカーなんて名前じゃ、呼びにくいから、ペコに対して、ポコに変えよう!」

                 と提案してみたが、「飼い主の都合で、養子に出されたあげく、慣れ親しんだ名前まで変えられては、オスカーがいくら何でもかわいそう」と、却下された。

                 オスカーは走りまわること以外に何ができるのだ?オスカーは自分の名前を理解しているのか?と観察を続けている。
                 
                | yahoi | 暮らし・余暇 | 02:54 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
                「李香蘭」を見て国と人の狭間を考える
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                   日本語の勉強の足しになるかと思い、朝日小学生新聞が発行している、「ニュースのことば」という小冊子を末息子に読ませている。漢字が苦手の息子には、読み仮名がふってあり、難しい言葉も小学生向きに解説してあるのでちょうど良い。

                   とは言うものの、日本で教育を受けていない息子にとって、解説を読んでもチンプンカンプンということがある。冊子を眺めていて、「お母さん、中国残留日本人孤児っていったい何?読んでもわからん……」冊子を私が読んでみると、よくわかるように解説されているではないか。

                   これがわからないという息子に唸る。しかし、よくよく考えてみれば当たり前だ。「日本が中国東北部につくった旧満州国で敗戦前後の混乱から、肉親と生き別れるなどして……」と説明されても、肝心な“旧満州国”が息子にはピンと来ないのだ。米国の歴史は習っても、ここでそんなことは習うはずもない。

                   私の拙い知識で、一通り説明してみるが、本当にわかったかどうかは疑問。そんなおり、友達から借りたビデオの中に山口淑子さんの実話を描いたテレビドラマ、「李香蘭(りこうらん)」があるのをみつけ、さっそくこの息子といっしょに見た。満州を知るためには、ちょうど良い。

                   中国語がたくさん出て来て、日本語の字幕が出る。字幕においつけないだろう息子のために私が声を出して読みながら、ドラマを最後まで見た。息子なりに、旧満州国のイメージ、日本と中国の関係、戦争の怖さなどなどいろんなことが学べたと思う。

                   満州で生まれ、中国で育った山口淑子さん。中国を愛しながらも敵対する日本の国籍を持つ彼女の苦悩を想うと胸が痛む。ドラマを見ながら、国家と個人について考えさせられた。

                   娘が漢奸罪で死刑になるかもしれない状況で、仲良しだった中国人に「私の彼は“日本人”に殺された」と言われて助けてもらえない悲しみ。“人”のレベルで考えれば聞く必要のないせりふだが、そうはいかない。その辛さを知っているはずの父も、ロシア人である、リュバに対して、ロシアのせいで満州がおかしくなり、自分の人生が変わったと恨みを向ける。何十年ものブランクを経て山口さんが、リュバと再会し、リュパのお兄さんが、731部隊の犠牲者と知った時、“日本人”として「ごめんなさい」と号泣する。

                   終戦記念日の今日、ふと考えた。
                  「日本に原爆を落とした国、米国で暮らしている」なんて思いたくないし、「真珠湾の恨みを日本人として忘れるな」なんて言葉もできれば聞きたくない。だから戦争はいけない。祖国に誇りを持ちたいと思う。そして世界じゅうの人と人が、心と心で繋がることのできる地球であってほしいと願う。

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                  | yahoi | 映画・本etc | 23:08 | comments(2) | trackbacks(0) | - | -
                  憧れのコンビニ店員
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                     夏休みを利用して単身一時帰国をしていた娘を空港に迎えに行った。2ヶ月半の日本滞在を終えて三時過ぎには、ミシガン州都ランシン空港に到着の予定だった。

                     ところが、シカゴからの乗り継ぎ便がフライトキャンセルとなり、娘はシカゴで10時間待ちぼうけ。予定を大幅に過ぎて、やっと到着したと思ったら、荷物が同じフライトで着かず、さらに荷物を待つはめに。荷物の到着を待ち、家に着いたら深夜の1時半という、みんな待ちぼうけで、ヘロヘロフラフラの一日となった。

                     とはいうものの、無事到着!♪おしゃべりな人が戻ってきたのでまた賑やかになる。

                     娘は、日本で小学校を卒業し、中学に3ヶ月だけ通ったあと、日本を出た。サモアの中学を卒業し、サモアの高校を経て、ミシガン州の公立ハイスクールに編入、卒業して現在は、地元州立大学でアートを専攻している。我が家の子どもたちの中では、日本で過ごした時間がいちばん長いだけあり、“日本人度”は高い。日本語と英語のバイリンガル度も、かなりバランスがとれているだろう。日本のアイドルタレント情報や音楽シーン、小説、テレビドラマなど、海外在住の身とは思えないほど、精通している。Youtubeを駆使して、日本のドラマもしっかりチェック。日本の友達も多いので、日本への里帰りをいつも楽しみにしている。

                     そんな娘だが、高い航空運賃を払ってまでも、ただ日本へ遊びに帰ると言えば、家族から批難を浴びそうなことは承知している。我が家では「授業料の面倒ぐらいは自分で見てね!」ということになっている。弟たちは、そのために毎日、釈迦力になってバイトしている。それでも日本に行きたい娘は、「日本に出稼ぎに行って来ます」と言い残し、旅に出た。

                     たった2ヶ月半しか働けない人を雇ってくれるところなんかあるの?という家族の心配をよそに、派遣会社に登録をしたり、滞在先の伯母のところから通えて、バイト募集をしている店をあたったところ、近所のコンビニで雇ってもらえることになった。実は、「日本のコンビニでバイト」というのは、かねてからの娘の憧れでもあったので、大喜び。

                     コンビニの早朝シフトと、派遣会社の単発仕事、週末には、祖母の居酒屋を手伝いながら、できる限りのお小遣いを稼いだ。滞在ちゅうに、祖母の店に来るお客さんに、名古屋場所に連れて行ってもらったり、幼馴染と水族館に出かけたりで、忙しく過ごしたそうだ。

                     憧れのコンビニ店員体験では、毎日、7時14分、7時50分、12時半と決まった時間に一日、三回立ち寄って新聞とガムを買う不思議なお客さんがよほど印象的だったらしく、その人の真似をしながら、おもしろおかしく実演してくれた。コンビニで、廃棄処分にしなくてはならない食べ物がたくさん出て、それを見過ごすのは辛いこと。店長から、廃棄処分前のウナギをもらっては、おじいちゃんにあげたこと。コンビニ経営は、楽そうには見えないことなどをまくしたてた。

                     何はともあれ、経験から学ぶことは大きい。我が家の孫代表として、おじいちゃん、おばあちゃん孝行もできたことだし、良かった良かった。


                    | yahoi | 暮らし・余暇 | 02:11 | comments(3) | trackbacks(0) | - | -
                    一日をパーに!Lansing Jazz Fest
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                      州都Lansingでは、毎年8月のはじめのウィークエンドに、恒例の"Lansing Jazz Fest"が開かれる。行きたいなぁと思っていたら、ちょうどMikiがLansingに行く用があると言うので、チャンスとばかりについて行くことにした。

                      Lansing Juzz Fest
                      シカゴやニューオーリンズなど、ジャズの本場で催されるそれに比べればローカル色が強く、ささやかなものだが、ハイスクールジャズバンドでトランペッターをしている末息子を無理やり誘い、三人で出かけた。

                      無理やり、と言うのも、私が息子に、「いっしょにジャズフェスト、観にいかない?」と誘ったら、「え〜?明日は友達と遊ぶ約束をしたから嫌だ」とのたまう。まさしく、正しいティーンエイジャーの習性を身につけているではないか。パパやママが連れて行ってくれるところなら、どこへでも喜んでついて行く、という時代は終わっているのだ。「行こう」と言えば「行かない」「行くな」と言えば「行く」というのが常だ。

                      予想通りの反応に、ムッと来るのを抑え、にっこり笑って、「あらそう。友達とはいつでも遊べるよね」と返すと、「お母さんと出かけると、一日がパーになる」と抜かすではないか。さらに、にっこり、「私から見たら、せっかく新しい何かを見たり聴いたりできるチャンスをあんたこそ、パーにしようとしているんじゃないの?」

                      人に邪魔されず、好きなことだけをしていたい年頃、その気持ちはとってもよくわかる。でも、誰よりも、自分の子どもの興味を理解しているからこそ、何かの役にたつかもしれない刺激を与えたいと思うのは、親として……なんて偉そうなこと言うつもりはなく、連れて行きたいのは私のエゴ。何の役にもたたないかもしれないけど、こんなふうに一日をいっしょにパーにするのもいいじゃない。
                      何はともあれ、しぶしぶながらも、連れ出すことに成功!
                      ジャズフェスト
                      「オレはジャズバンドで弾くことは好きだけど、ジャズは、聴いてもらうというよりは、演奏する人が酔いしれるための音楽だから、人の演奏を聴くのはつまらない」などと、わかったようなわからないようなことを言いながら、聴いている。

                      Kris Johnson Quartet
                      そんなこと言っていても、良い生演奏を聴いて家に帰れば、きっと、しばらくはトランペットの練習でも始めるだろう、という私の目論見は外れた。うちに戻ったら、さっそくドラムの前に座った。トランペッターよりも、その後ろで、叩いていたドラマーの技の方が気になったらしい。

                      なかなか、母の読みどおりにはいかない……。まっいいか。

                      観客
                      私は楽しかったし、どうせ一日パーにしに行ったのだから。

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                      | yahoi | 行ったよ。見たよ。 | 08:40 | comments(3) | trackbacks(0) | - | -
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